2009年11月 9日 (月)

昔の彼女

20年前バブルに沸き立っていた頃は、座っているだけで仕事が次々と押し寄せて困ったものだった。そんな状況になると、いつもは音信不通のお客からも、どっさりとボリュームのある図面が届いたりした。そして、何が何でもやってほしいと再三の電話で迫られ、中にはいきなりやってきて、受諾するまで帰らなかった人もいた。

 そういう仕事は納期も無理があって、随分苦労したものだが、必死になってやり終えてみると、次からは注文が来なかった。こちらも、ただでさえ忙しかったから、注文がないのは返ってありがたかった。だが、形勢逆転して、世の中から仕事が減ってくると、今度はこちらから営業に歩くが、前回無理を押してやってあげたお客は、たいてい生返事で、とりつくしまもなかった。

 今から考えると、この手のお客はもともと浮気性で自己本位だった。わが社を思い出して久しぶりに仕事の話をもって来ること自体、普段その会社が発注しているところが間に合わないからで、わが社は、予備の、そのまた予備としてしか認識されていなかったのだ。うがった言い方をすると、本命の相手からデートを断られ、次の候補もダメで、ふと思い出したのが昔の彼女、という具合である。つまり、もともと、当社はどうでも良いと思われていたから、次にこちらからの申し出があっても、鼻もひっかけないのだ。

 こういうたぐいの仕事は、わが社にプラスになっただろうか?

 結論から言えば、マイナスの方が、はるかに大きかった。なぜなら、めっぽう忙しい中に更に仕事を突っ込んだ結果、今までのお客の仕事がしわ寄せを受けて、間に合わなかったり、やっつけ仕事で品質が悪かったりで、相手に迷惑をかけた。

 馬鹿な話である。

 長期的に、反復取引をして、お互いに信頼を積んできた相手こそ、大切にしなければならない。一回きりの「後は野となれ、山となれ」という相手かどうかをしっかりを見抜かなければならない。また、立場を変えてみれば、我が社と外注会社との関係においても、同じことが言える。一方的にどちらかが有利な関係は、長続きするわけがないのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 2日 (月)

開会あいさつ

第三回静岡県中学高校中国語スピーチコンテストの開会あいさつ

このコンテストも既に三回目を迎えることになりました。

特筆すべきは、若い学生さんたちの挑戦する意欲が、大会の内容を充実させてきたことです。

 課題文は初級から中級まで難度を分けて用意しましたが、かなり難しいものにも、覚え込んで果敢に挑戦したことは他にはあまり類を見ないものです。

 学力に応じた無理のない教材、というありかたは勿論基本ですが、一方で自分の力量を越えるものに挑むのは、若者の特権でもあり、それが思いもかけない成長をもたらすものです。

 特に中国語は古典から取られた故事成句を抜きには語れませんので、やはり、難しくても、歴史的に有名な語句を避けることはできません。語学学習を日常会話の段階にとどまることなく、更に広がりと深みに向かって行って欲しいと念願する次第です。

 オリンピックから上海万博、12000kmに及ぶ新幹線計画、世界の希少資源の配分など、今後の世界は中国の存在が決定的になっています。このような時代に、何よりも皆さんのような若い人々の活躍が求められています。

 今日の大会を一つの節目として、更なる中国語の研鑽を祈るものです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年10月31日 (土)

富士山冠雪

今年2度目の雪で、富士の7合目あたりから真っ白になった。最初の雪はすぐに消えたが、今回のはいつまでもつだろうか?

今年は妙に暖かい。昨日は23度、その前の日は26度まで達した。ときどき半袖になるなど、去年とはおおきな違いだ。パジャマを半袖にしたり長袖にしたり忙しいし、ストーブの薪をいつ準備しようかと迷う。

実家の柿を取りに行ったら、もうほとんど落ちてしまい、枝に残った完熟のやつは、鳥のえさになっていた。

山芋を貰い、まつたけを送られ、良い思いができるのだが、食べるのは2人だけ、なんだかもったいない気がする。

散歩途中の無人販売所で2本100円の蕪を買って、あさずけにした。美味なるさかなとなって、地酒「正雪」とあわせた。つまみに野菜が良いと勧められてから、ためしているが、トマト良し、きゅうりよし、蕪よし、大根よし、野菜の地の味がこうだとは知らなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月27日 (火)

火ダルマ

 今年はいつになくシーズン入りが遅かった。

その分仕事が集中して、キャパ以上に溢れて来たようだ。

かつては、ひとつの仕事を片付ける間もなく、次から次へと入ってくるのを、

「ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」

と阿修羅のごとき働きをして、気がつくと年の暮れ。こうして毎年シーズンが過ぎて行ったものだ。

だが、今の世代はそうはいかないようだ。どうしていいかわからない状況で火ダルマになる姿は見られない。その代わり、悩みに悩んで体を壊してしまう危険性が高いのである。いずれの場合も、我々日本人は真面目である。

「叱られる時は、叱られるのが良い」それ以外に何があるのだろう、と思う。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

hidaruma

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月22日 (木)

仕事泣き

男は仕事泣きするな!

とはよく言われた言葉だった。

仕事が「きつい」とか、「大変」、「困った」などという消極的な態度をとってはいけないと教えられてきた。したがって、いつも元気に取り組んでいなければならず、どんなに大変な状況でも、歯を食いしばって耐えた。

まわりも皆そうだったから、良いも悪いも無くその価値観に合わせてやってきたのだった。

今、時代も変わって価値観も大きく変わった。

仕事の無理強いは労働基準法に抵触するし、特定の人に仕事が集中するのは管理が悪いとされる。残業は基本的にマイナスの作業で、労働時間を短縮することが正義だとなった。

仕事の効率を上げて労働時間を短縮し、各人の負担を減らすことが正しいとなった。

それは当然のことである。

しかし、現実を見ていると、大勢が時短と有給でゆったりするのにともなって、特定の人に仕事が集中するようになっている。その人とは有能で責任感が強い人だ。

「仕事は忙しい人に頼め」

という警句は現実的だ。

暇な人と言うのは、概して仕事が遅く、仕事が遅いから周りの者が頼まなくなるのである。だから、そういう人に物事を頼んでもさっぱり進まず、やきもきした挙句自分でやったほうが速いと思いいたるのである。

愚痴の多い人も要注意だ。

仕事泣きは絶対駄目というわけではない。しかし、ちょっと混雑して仕事が錯綜してくるとパニックに陥って、「もう駄目!」とわめくのもどうかと思う。仕事をこなすのは、ある種の格闘技に似ている。叱責され、せきたてられ、無視されて、なお頑張るのは、打たれたり蹴られたりしながら戦う姿に似ている。

その最中に悲鳴を上げるのは、やはり具合が悪かろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月20日 (火)

仕事は見て覚えろ

 私が仕事を覚えたのは、最初は簡単に教えられたが、ほとんど自得というか我流で覚えた。まわりも皆そういうやりかただったので、「見て覚える」のは当然だと思っていた。

 ところが最近のありさまを見ると、「教えなければ覚えない」「教えてくれなければ、できない」というのが常識になってきた。確かに、白紙の状態からスタートするのだから、最初は何も知らない。それはそうだ。

 だが、何事によらず、その仕事を始めた最初の人にとっては、教えてくれる人はいなかったのだ。登山に譬えると、その山にとりかかる道そのものを作りながら登るのが処女登攀である。そこが無類に面白いと思うのだが、「道も無い山へどうして登ったらいいんでしょう!」と言われると、残念ながら返答に窮する。

 一番手と二番手以下の違いがこれである。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年10月19日 (月)

台湾--中国直行便

 先日台湾の人から聞いた話だが、現在台湾と中国をじかに飛んでいる飛行機は、週に280便だそうだ。台北と高尾の両空港合計だが、すごい数字だ。交流がここまで進んでいることには、正直驚いた。

 では中国に住んでいる台湾人はどのくらいいるかというと、150万人だそうだ。人口の6%強、この比率を日本に当てはめると、750万人が中国に住み続けるという話になる。

 台湾の優秀な高校生の進学する大学は、志望1位が北京大学というから、もはや昔の感覚では理解できない。

 人民元と台湾ドルの交換もできるというし、情勢は大きく変化しているのだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月15日 (木)

日野秋日

連休を利用して滋賀県の日野町へ行ってきた。

中小企業家同友会小松ゼミを主なメンバーとした、ゼミ旅行である。

新自由主義にかねてから疑問を持っていた一同が、アンチテーゼとして研究してきたのが近江商人の経営思想だった。それで実地に見ようじゃないか、という話になって五個荘と日野を選んだ。メインは日野だった。

日野という町並みには驚嘆した。白洲正子の描写や司馬遼太郎の紹介などからも、上品で落ち着いた中世的な家並みと想像していたが、実際はこれに輪をかけて美しさを感じさせるものだった。

道は狭く、両側の家が迫っているので、ちょっと大きな車はすれ違いに苦労するほどだが、何よりもゴミというものがないのだ。生活廃棄物、たとえば私の家の周りなら、買い物袋とか、コンビニ弁当のカスだとか、スナック類の袋やタバコの吸い殻、こうしたさまざまなゴミがあちこちにあるのだが、日野にはまったくない。ゴミ箱すら置いてないのだから、すべてそれぞれの家の中に設置してあるのだろう。落ち葉とか枯れ枝すらない。聞いてみると、毎朝丁寧に掃除しているそうで、それも隣家との境界線を少しだけ越えて、隣りさんの分も掃いてあげるのがエチケットらしい。「少しだけ」というのがミソで、大きく超えると嫌味になるのだろう、と思った。家の前のわずかな場所には、たいてい鉢物が置いてあって、菊だとか蘭だとか西洋風の花が咲いていた。

アスファルトに雲ひとつない秋空から降り注ぐ陽光が柔らかく映えて、物音もしない通り全体がうらうらと静まっていた。家は日野商人繁栄の跡をとどめて、地味だが堅牢、ちょっと見には気がつかない所へお金を使っているらしい(同行のメンバーに建設業の人がいたので、いろいろ聞きながら歩いた)。

こういう町を作り、しかも現在でもきちんと維持している努力には感銘を受けた。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年10月 8日 (木)

 新聞に載らない生き方 

 

 親戚のある人の一生は、平凡に徹して、およそ目立たないものだった。

 本人自身が「新聞に名前が載らないような生き方をする」と言っていたが、実際その通りの一生を送って天寿を全うした。旧逓信省の中級公務員だったが、出世もせず、落ちこぼれもせず、人とは決して争わず、晩年は、ほどほどの年金が入るたびに、いそいそとパチンコに出掛け、終わると晩酌を楽しんでいた。

 一人の人間が、一生に一度も新聞に載らないというのは、意外に難しい。

悪いことをして捕まったような場合とか、犯罪者として新聞に書かれることなどは、もちろん避けることはできるが、何かに合格するとか、来場者○○人目などのおめでたいことや、社会福祉や善行、あるいは趣味の音楽とか山行き、動物写真などでも記事にされることがある。ある程度の地位にあれば転勤でも新聞で報道される。偶然に自動車事故に遭っても、負傷者として新聞に載ってしまう。そうした意図せざる機会すらも避け続けるというのは、案に相違して実に難しい。本人の強靭な意志と継続する努力は並大抵のことではない。そしてなによりも、そういう運が必要である。

 平凡な星の下に生まれ、平凡に終わるという運命

 この当たり前に見えて、その実、極めて困難な道を、なぜ彼が選んだのかは、今となっては確かめる術はない。それなりに信念の人だったのだろう。

 私は、若い頃は、男子たるものは志を伸ばして大いに活躍しなければならないと思っていたから、心中ひそかに彼を軽んじていた。あれでは「何の為の人生か!」と思っていた。だが、自分が年金を受け取るような年になってみて、彼の歩いた道を考え直すようになった。

 野生動物にとっては、周りの色や模様と同化して、目立たなくすることは、非常に重要である。草原の獣、水中の魚が天敵から身を守るには、すなわち発見されないことである。人間の場合は、ヒトの群れの中で目立たない事が安全を保証する。狂気が支配している社会では、人目についただけで血祭りにあげられることがままあるのだ。そしてやっかいなことに、人間の社会は必ず一定数の生贄が必要なのである。

 新聞に載らないように生きるのは、一つの芸かもしれない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

«歴史に学ぶ