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2009年3月31日 (火)

ボソボソ

最近の青年の特徴として、声が極端に小さいなと感じる。

会議の場ではほとんど聞き取れないし、対面していても近くへ寄らないとはっきり聞こえない。こちらの耳が遠くなったかと注意してみるが、どうもそうではない。

これは自己主張を避ける風潮と表裏一体ではないかと考えてしまう。自己主張が強いと嫌われるのは確かだが、嫌われることを恐れるあまり、自分の意見もはっきり言わないのでは困るんじゃないかと、おせっかいながら心配である。

世に処するや、摩擦は避けがたい。

少々の摩擦や衝突を乗り越えてゆくのが人生だと思うのだが・・・

肉よりも野菜が良くなった年齢でいうのではない。肉食系だろうと草食系だろうと、戦うということに変わりはないだろうに。

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2009年3月24日 (火)

少々お待ちください

ヴェトナムコーヒーに次いで、横着な商売だなあ、と感じる店が、実はあるのだ。

新鮮な魚を出すところで、回転が速いので結構おいしく、値段もほどほどである。しかし、店員の態度がいただけない。何か言うと「少々お待ちください」ばかり返ってくるのだ。

私だけが言われているのかと勘繰ったが、すべての客に対してだった。

「○○をください」「少々お待ちください」

「○○は今日有る?」「少々お待ちください」

「○○を焼いて」「少々お待ちください」

「○○の刺身!」「少々お待ちください」

という調子でやたらに忙しそうである。(実際にそれほど忙しいようにも見えないのだが)

カウンターで食べていたら、横合いから肩越しに食べ終わった客が勘定をしに来た。

「おあいそ」「少々お待ちください」

と言って手元の皿を洗う手を休めず、皿を何枚か洗い終わって「はい!」と顔を上げた。その間客は財布を握って待たされていたのである。

これは駄目だ・・・と思った。

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2009年3月23日 (月)

総理を嘲笑するマスコミ

野宗氏のブログで、最近感じていたマスコミの行動の違和感を述べたものがあったので転載。

さる3月13日、わが国の宰相(総理大臣・首相)である麻生さんから総理番の
女性記者8人に、先日のバレンタインデーに贈られたチョコレートのお返しとして、
ICレコーダと手紙が贈られました。

  “麻生総理の手紙”

   過日 バレンタインデーには 御心ずかいを戴き恐縮でした
   心温まる御声援を受けて 景氣対策に全力を傾けて 氣張りますので
   引続きの御支援を御願いします
                  内閣総理大臣  麻 生 太 郎

 これは記者あての個人の手紙ですから、本来は公開されるべきものではない
のですが、この内の誰かがオープンにし、それが一部の新聞やTVで、次のように
報道されたのです。

 ■ 麻生首相の無知が久々に炸裂!「ずかい」

  麻生太郎首相が、「言葉の問題」で久しぶりにミソをつけた。
  13日、バレンタインデーのお返しとして女性番記者へ渡した直筆の手紙に、
  「御心ずかい」という一文があった。「ずかい」ではなく「づか(遣)い」が正解。
  日ごろ、麻生氏の漢字間違いをチェックしているだけに、すぐに「間違いだ」
  「心遣いと漢字で書けなかったのか」と、話題になった。
  麻生氏は贈呈の際、ホワイトデーにちなんで白いICレコーダーも添えられた。
  一言一句を厳しくチェックする「武器」を贈られた番記者の発言チェックには、
  今後さらに熱が入りそうだ。
                       (2009/3/14 日刊スポーツ抜粋) 

 TVでも、「日本テレビ」「フジテレビ」が強烈な場面を作り上げ、「またまた総理
が漢字の間違い」などと大々的に報道。キャスターやコメンテーターが≪嘲笑≫する
始末でした。たまたまわたしもテレビでこの目で見ましたから間違いはありません。

 さあ、みなさん、麻生総理を嘲笑するマスコミは正しいのでしょうか、あるいは
間違っているのでしょうか。インターネットの世界では、「マスコミ」が槍玉にあがって
おり、いわゆるお祭り状態となっています。

 わたしは次のように考えます。

  麻生総理からの手紙を公開、リークするのは、礼を失するのではないでしょうか。
   普通は他人に見せたりしないのがマナー、エチケットであり、常識というもので
   しょう。新聞記者の一部にはそれさえも持ち合わせていない哀れむべき人が
   いることがよくわかりました。これは、人材論<人財・人材・人罪の3分類法>
   から言えば、“人罪”にあたります。

  お礼状に対して、こんな類の記事を書くマスコミがいるとは、まさに驚きを通り
   越して怒りさえ覚えます。マスコミは社会の公器としての機能を果すべきですが、
   まことに情けなく、これは、日本の恥。いや、世界の、人類の恥だと思います。
   傲慢、下衆の代表的見本と言えるでしょう。

  麻生総理は、お礼状として、草書体の直筆だったのですから、すこぶる心が
   こもっています。
こういうものには文字の間違いなどの詮索はしないものであり、
   フーテンの寅さんではありませんが、“それを言っちゃあおしまいよ”。こんな
   指摘などをするから、世間から手書きの手紙が激減し、無機質なワープロ型
   定型文やお礼状文例集のようなものばかりになっていくのではないでしょうか。
  
  明治の文豪・夏目漱石でさえ、文字間違い、当て字など数多くあるではない
   ですか。たとえ、麻生総理にあったとしても、あまり目くじらを立てなくてもよい
   のでは。
   
  今や、マスコミはネット世界から次のように表現されています。今回の例など
   を見るにつけ、真実の一端を適切に表現していると感心させられます。

      マスコミ  マスゴミ  ゲスゴミ

  「日本テレビ」と「フジテレビ」が、この日刊スポーツの馬鹿な記事を見て、
   手紙の画像を大写しにして、キャスターやコメンテーターたちが、麻生総理
   の「心ずかい」が間違いであり、「心づかい」が正解であると、鬼の首でもとった
   ように大はしゃぎし、総理をおちょくり、嘲笑し、蔑み、大笑
いしたのです。
   わが国の総理に対して…いったい何様のつもりですか。品性のかけらもない
   こと明瞭です。

  ところが、どっこい。あにはからんや、間違っていたのは、なんとマスコミ(ネット
   ではマスゴミと蔑称)だったのです。
すなわち日刊スポーツ(朝日新聞子会社)、
   日本テレビ、フジテレビが完全に間違っていたのです。まず辞書をよ~く見て
   ください。

       広辞苑 
         昭和30年 第1版       「こころずかい」
          昭和44年 第2版       「こころずかい」
         昭和51年 第2版補訂版 「こころず(づ)かい」

   なんともはや! 要するに、少し前の辞書には「こころずかい」とあり、昔風の
   送り仮名はこれでよかったということですから、総理の無知を嘲笑しようとした
   下衆な目論見ははずれ、逆に、自分の無知をさらけ出したわけです。
まったく、
   下手な落語にも、漫才にもならず。まさに、“マスコミの正体見たり枯れ尾花”
   …の枯れ尾花(枯れすすき)にもなれないほどのおそまつさです。

   テレビの司会者、キャスター、コメンテーター、新聞記者は、自分が発する
   用語の正確さを期するためには、自らを権威づけるために、広辞苑のような
   権威ある辞書を引くでしょうに、それさえ引いていないという、およそ教養ある
   行為から遠く離れた存在
であることを証明しました。他人の言葉をあげつらい、
   非難し、その人格、人間性をも否定しようとするならば、それなりの事前確認
   くらい行うのは当然ではありませんか。

  これほど恥ずかしいことはないと思われるのですが、かれらは全く意に介せず、
   お詫びの気持ちは寸毫もありません。書きっぱなし、放映しっぱなしで、お詫
   び訂正さえ行わないのですから、まさに、かれらこそ人間性を欠いた唾棄す
   べき存在
と言っても言いすぎではないのではないでしょうか。

 名誉のために言っておきますが、すべてのマスコミが駄目というわけではありま
せんが、有力なマスコミがこの体たらくだということだけは、認識しておかねばなり
ません。特に「NHK」を含むTVはその傾向著しく、「TBS」「テレビ朝日」は、これ
以上に輪をかけて問題があり、また風評を煽りに煽るという特異な体質を有して
いることだけは、肝に銘ずべきでしょう。

 まことに残念ながら、テレビ人は、昔、大宅壮一が言った“一億総白痴化”の道を
着々と推進していることを、あらためて認識しなければなりません。

 それにしても、マスコミは下衆ですね。因みに「げす」を辞書で引いてみました。

    げす(下種・下衆・下司)
       心根の卑しいこと。下劣なこと。また、そのようなさまや人。
         「――な根性は持つな」
      ② 身分の低い者
                  (大辞泉)

 下衆は下品。まさか、マスコミがここまでだったとは。立法、行政、司法に次する
第4の権力と言われるマスコミですが、実際は、ある意味では、第1の権力である
とも考えられ、それなりの特権を与えられています。であるとすれば、もっと謙虚に、
誠実に、一層教養を深め、その上で真実を極めていく姿勢を持つべきであり、
タイトルに書いた、傲慢・下衆・無知を払いのけていただきたいものです。

 マスコミが、“真の日本人”としての立場を踏まえ“真のマスメディア”になることを
期待します。

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2009年3月19日 (木)

外注価格の凸凹

 厳しい値下げ要求に対して、新しい商品を開発している。

従来品に比べると、部品点数が減って加工度がアップ、全体的にはかなりコストが下がるみこみである。この製品の原価をはじきながら、外注加工を依頼する予定の6社から見積もりを取った。

 驚いたことに、その価格がまるで違う。ひどいのになると最低と最高では2.5倍の差がついた。同じ地域の同じような規模の会社で、使用機械も似たり寄ったりなのだが、その価格にこれほどの違いがあると、正直考え込んでしまう。

なぜこうした違いがでるのだろう?

 本来はこうした価格はあるゾーンに収斂して「相場」というものができるのだが、収斂どころか凸凹である。そこで思った。この業界の、この種の製品は、まだまだこなれていない創成期か、あるいは市場が小さすぎて相場が形成されるほどでないのか、はたまたその会社の考え方のバラツキか?

 いずれにしてもいろいろ考えさせられる結果となった。この差異にも何かのヒントがありそうだ。

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2009年3月17日 (火)

講演

 先週県内の中小企業会のある支部で講演をした。

 90分なので、かなりはしょったのだが、幸い聴講してくれた方々はほとんど居眠りもせず、最後まで真剣に聞いてくれた。やはり、目下の大不況、今まさに仕事がないという背水の位置にいるからだろう。どのようにして材料高騰を乗り切ったか、どうして回復できたかなどの具体的な内容には同感のうなづきがあちこちで見えた。

 質疑応答では鋭くもきつい質問が出て、汗をかいたが、やはり、日々真剣に生きているなと思わざるを得ない突っ込みだった。いい加減な回答は許されない状況だから、こちらも本音で答えた。当日の聴講者も一つくらいは何か役に立つものを持って帰って貰ったと思う。

 二次会で横に座った人から聞いた経験談は、ピンチをチャンスに変えて、見事に成功したもので、こちらとしてはこんないい話を「タダ」で聞かせてもらっては申し訳ないと思うほどだった。「野に遺賢あり」というが、田舎にも平凡に見えて凄い人たちがいるものだ。

 

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2009年3月11日 (水)

いじめ

このところ麻生総理に対するバッシングは激しさを増し、ご本人は既に疲労困憊で体がもたなくなっているように見受けられる。また当然のことながら、麻生内閣そのものが保たない状況に追い込まれて、またも使い捨ての運命にさらされている。大方の賛同と期待を背景に組閣したのは、いったい何か月前だったのだろうか?

 麻生首相の手腕に満足しているわけではないが、こうまでよってたかって批判を浴びせ足を引っ張る風潮はいかがなものかとおもう。ひらたく言えば、ほとんどいじめに近い感じである。小泉以後の、安部、福田内閣がたどった経過をみると、当事者達でしか知りえないスキャンダルを暴かれて失脚したり、世論の袋叩きにあったりしているが、どうもこれは官僚とマスコミの阿吽の呼吸での仕業ではないかと思えてならない。安部、福田、麻生首相がそれほどダメだったろうか?と考えてみると、首相が駄目なのでなく、世論という化物の気まぐれ、興味と期待に翻弄されたのだと思えてくる。民主主義の祖先ローマ時代は「パンとサーカス」を国民に提供することが為政者の務めと皮肉られていた。今の日本でいえば小泉「劇場」というお芝居を見たがっているのだろうか。

 司馬遼太郎氏は「意地悪は、日本人の民族病」と言っている。普通は女性が仲間を組む場合に現れるとされる現象が、日本では男性社会に顕著に表れ、場違いにやってきた当人に対して、「お前はそこに座るべきではないという事を暗に集団的に気付かせようとする作用」でグループ内の正義感と秩序感覚から差別と意地悪をして当人を追い出すか又は破壊してしまう。(街道を行く:佐渡の道)

いい大人、それも最高レベルの人達が集団的に行ういじめを見ると、時代が変わったとも感じるが、小学校などで問題になっているいじめと全く同質のものではないかと思う。

官僚の権益を制限または廃止しようとする政治家に対しては、凄まじいいじめで対抗し、それにうまうまと乗る野党、視聴率さえ稼げば良いマスコミの言動は困ったものである。そう言えば殿中松の廊下での刃傷はドレスコードを故意に違えて、1人だけ場違いな衣装をつけて恥をかかせた「いじめ」が発端だった。

江戸時代にさかのぼるいじめの伝統となると、やはり病気なのか?

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2009年3月 6日 (金)

医院付属フィットネスクラブ

 かかりつけの循環器医院が裏庭にフィットネスクラブを開いた。

昨日入会して最初のトレーニングに行ってきた。

目新しい器具が並んで、一つづつこなしていったが、専属のトレーナーがつきっきりで指導してくれた。体格の良い親切な人で、オリンピックでメダルを取った選手によく似ていた。

きつい運動かと思ったら、実に静かで、ゆっくりと、まるでヨガみたいなほぐし方だった。データーを取り終えてから「年齢の割にいい数値ですね」とおだてられて、天下を取ったように勇気がわいてきた。

 今朝起きようとしたら、太ももが張って難儀した。

次回は明日土曜日にまた1時間コースである。肩こりはこれで必ず治ると主治医の先生が保証しているから、心強い。ちなみにこの先生はJリーグ公認専属のスポーツドクターで、実績も資格もあるらしい。

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2009年3月 3日 (火)

青柳町

私の好きな啄木の歌に

  函館の 青柳町こそ かなしけれ

     友の恋歌 矢車の音

というのがある。

昨日ある記事を読んでいたら、この歌が引用してあって、末尾が 「矢車の花」となっていた。「矢車の音」と覚え違いをしていたのかなと思った。

しかし、5月の函館の青空を見上げる情景を想像すると、視覚にはいってくる「花」よりも

高い竿の上端でカラカラと鳴っている「音」のほうがやはりいいと思えてならない。耳に響く明るい気分は、この場合音こそだと信じるのだが、原文がどうなっているかは知らない。

啄木の短い一生は貧困とコンプレックスと天賦を自覚した才能も持ちながら不遇に耐えたものだった。生母が結核に倒れ、妻が肺を病み、やがて自分自身も結核に冒されて死ぬという暗い生活の中の、その僅かな晴れ間のような時間が函館にあったようだ。

恵まれない人生は、うつむき加減の姿を強いるものである。空を見上げるような瞬間が貴重なものだったと思えば「花」もいい。

だが、一方カラリと晴れた空を想像しながら「音」を浴びる情景も捨てがたい。

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