2 朝酒もさめて
ふと気がつくと、あの朝酒氏が横に来ていた。
「どちらからですか?」と始まり、間を置かず「仕事ですか?」とたたみこんできた。曖昧に返事を濁す暇もないタイミングで、なかなか鋭い。
私はGパンにポロシャツという姿だが、彼には何の仕事か判断がつきにくいようだ。定年退職してカメラ片手に旅行という場合は、ポケットがやたらに沢山ある上着が決まり相場であるが、私のは、物をしまうポケットも付いていない。当座の路銀と常備薬以外は何も持たず、いつも肌身離さない持ち物は、冷房対策の上着だけである。
あまり質問されてはかなわないと思い、逆にこちらから彼の事を聞くようにしたのだが、私のあいずちや合いの手が、トンチンカンでなく、反問や質問の具合からして、彼は丁度良い聞き手を得たと感じたようでもあった。
今から思うと、これが自噴泉の如く、湧き出て止まらない語りを引き出す事になってしまったのである。
私の美質は、人の話を最後まで良く聞く事だが、今回も長い聞き役を務める事になりそうだった。しかし、考えようによっては、気候は良いし波も穏やかで、海風は柔らかく肌に心地良く、落ち着いて話を聞くのも悪くないなと思った。私はさりげなく風上に回りこんで長期戦に備えた。
与論まであと3時間、1.5mほどの穏やかな波の上を、飛び魚がしきりに飛んでいた。
このあたり、今日は台風も去って穏やかだが、時には大型の台風に直撃されて荒れに荒れる。琉球弧は天気図でもおなじみの進入路である。離島で暴風雨に晒される心細さは大変なものでしょうね、と会話を続けた。
待ってました、とばかり勢い込んで話し出したのは、彼が少年時代に遭遇した台風で、ほとんどの家が屋根を吹き飛ばされ、壁すらも破壊された。その中で奇跡的だったのは、犠牲者がゼロだった事だ。人々がどう避難したかと言うと、何と便所の中に隠れて嵐を避けたと言う。壁と壁が近いので家中で一番堅牢な部屋なのである。どこの家でも長年の経験から、いよいよ危ないと見て取ると、家族は便所の中へ逃げ込んで助かった。だが、家も家畜も農作物もやられて再起を果たすのは辛い事だった。営々と作っては破壊され、修復しては又ダメージを受けて、島は豊かになれない。普段は水が無くて苦労しているが、水が多すぎるのもまた災いである。
幸い現在は、海水の淡水化装置の、かなり大型のものが稼動していて、生活用水には困らなくなった。農業用水は生活排水をある程度浄化してから畑に再利用するので、だいたいどこの島でも間に合っているらしい。こんな話をちょっと聞いただけでも、離島の農業生産性が如何に低く、コスト高にならざるを得ないかが分かる。水に関する装置類の導入コストと、そのランニングコストもきっとかなりの額だろう。国や県がさまざまな助成金をつけてやっと維持しているのが現状だろうと思った。
「それで、サトウキビで農業が成り立つのですか?」と無遠慮を承知で聞いてみた。
パイナップル、サトウキビなどの伝統的産品は国際競争力に劣り、今はもう主役ではない。代わって菊や野菜が稼ぎ頭になっている。冷蔵コンテナの登場や航空貨物便の普及で、内地との気温と日照の差を逆手に取った作物で潤っているそうだ。内地ではビニールハウスの横で重油を焚いたり、夜間の電気照明を絶やさずにして栽培するものが、沖縄では露地で作れるのである。菊は墓参りが多い鹿児島へ出荷していると思ったら、東京の大田市
場だと聞いてびっくりした。鹿児島では排斥されて、已む無く他を当っているうちに東京へたどり着いたのが幸いしたと言う。有利な供給条件なら価格は強気でいける。「では菊御殿が建っているでしょう」と言うと、それには耳も貸さず
「奄美ではハブ1匹が5000円で売れる」と話を逸らした。ハブ取りを職業にしている人を知っていて、子供を3人も大学へやったと、羨ましそうな口ぶりである。
「あなたもハブを獲らないのか」と言うと、怖気を振るって「あれだけはやらない」と言った。その理由はこのあと分かってくるのだが、大の苦手らしい。
その代わり、ハブ以外はありとあらゆる職業を経験した。
畑仕事は一通りこなすし、大工の腕も一寸した小屋なら一人で建てる。左官の鏝も器用に使い、料理も女衆に負けない。頼まれれば舟に乗って潜りもするし釣りもそこそこだ。「仕事は選んでいられなかった」と笑うが、金の為に懸命だったのである。福沢諭吉も今でこそ1万円札に納まっているが、みずから自伝に書いているように、若いころは生活のために雑技を身につけざるを得なかった。孔子でさえ「鄙事に多能だった」と回想している。かく言う私も鄙事の腕をたよりにして、どうやら食えてきたのだ。
朝酒氏の語るところによれば、彼は去年までタクシーの運転手をやっていた。一時は結構良い稼ぎがあったが、最近はレンタカーが普及して、大手旅行会社は、ホテル宿泊費と航空券にレンタカーまでつけて安いパックを売り出したので、本土からの観光客はタクシーを使わなくなった。1日の水揚げが1万円に達しないことが多く、きつい仕事の割には報酬が少なくて困っていた。そこへ来てリストラが行われ、高齢の彼は最初に外された。沖縄の物価がいくら安いと言っても、タクシーが1万円では成り立たない。零細のタクシー会社であれば、商売替えを考えざるを得ないだろう。彼は暫くの間は何とか食べていたが、次第に窮して来た。しかし再就職は更に難しく、今回も職探しが不本意に終わっての帰りだった。「こんな年では無理だろうなあ」と笑う表情が、場違いな程に明るくて、私は、この人は本当に嘆いているのだろうか、それとも実際は困っていないのだろうかと迷った。
家族のことに話が及ぶと、表情を輝かせた。次男は大学を出て県庁勤めだと言う。沖縄は公務員に対する憧れが特別に強く、県職ともなれば超エリートである。(実際に国家公務員1種に合格していながら、沖縄県の試験に落ちた事を残念がった学生がいる程だ。両方受かったら県へ行くつもりだったとか)。高卒の長男は弟を大学に行かせる為に随分頑張った。買いたいものも買わず、食べたいものも食べず自分を抑えて生きてきたので、おのずから厳しい性格に育った。だから親父が仕事もせずにブラブラしていると、どうしても気になって仕方が無いようだ。失業は本人のせいではないことも十分理解はしているが、やはりついつい咎めるような口調になるらしい。
朝酒氏は「俺だって遊んでいたくはない」とプライドも見せるが、孫がそんな空気を察してか、ちかごろはおじいちゃんを以前ほど尊敬しなくなった。これが何よりこたえる。彼は居辛くなっては職探しに出るようになった。その長男をあの時代に学校を出してやったのは、他でもない朝酒氏の昼夜を問わない働きのお陰なのだが。
「子供と言うものは成人するころには、たいてい自分1人で大きくなったように思うものだ。多分世界中どこも同じだろう」と言うと、わが意を得たり、とばかりビール缶を大きく振って賛成した。私はその拍子に中身がこぼれはしないかとヒヤヒヤした。酒がこぼれるのを見ると、それが他人の物でも胸が痛むのである。幸い長男の嫁は戦後の苦しい時代を乗り越えてきたと言う思いがあって、陰に回って時々そっと小使いを渡してくれるらしい。私は500mlのビール缶の財源はそれだろうと見当をつけた。余計なお世話だが。
朝酒氏はタクシーに乗る前は米軍キャンプで働いていた。運がよかったと言う以上に、良い親戚が居てくれたのである。先にキャンプで働いていた叔父が人員募集の知らせを持ってきてくれたので、早い時期に定職に就けた。いろんな雑用をやっているうちに、もともと根は真面目だったのだろう、一生懸命やるから覚えは早く、アメリカの軍人やその家族達に可愛がられた。そこでは今までに身に着けた雑多な技能が随分役に立った。水道管の故障から、ドアの蝶番交換、庭の手入れ、子守、荷運び、買い物の手伝いと動き回って重宝がられた。
自動車の運転を覚えたのも、或る少尉が彼に運転の手ほどきをしてくれたからである。運転免許が珍しい頃、いち早く運転を覚えたのはよかった。