6 寝るや一人の親のそば
同じ具志堅という苗字の年上の人がいた。親戚では無かったが同郷だった。もう1人の具志堅の悲痛な生涯を、朝酒氏は遠い目つきで語りだした。
戦争で父と兄を失ったところまでは朝酒氏と同じだったが、彼の母は足を負傷して畑仕事が満足にできなかった。中学の頃、自分から進んで漁師の年期奉公に出た。21歳まで務める事を条件に、まとまった契約金が貰える制度で、世に「糸満売り」とも呼ばれた。雇い主が因業な親父だと、実態は人身売買に変わらないが、親切なところに当れば、雇い人として扱って貰えた。いずれにしても、危険で過酷な仕事である事に違いは無い。また、雇い主とて命を張った仕事だから、年端も行かない少年に対しても1人前の要求をした。波の上では、なまじ優しい態度ではお互いに危地に陥る事が多いのである。大声で怒鳴るのは勿論、分からせる為には殴ることもよくあった。少年とて泣いている暇など無かった。その点、具志堅君は良く堪えて働いた。
ただ、普段はいいが、病気になった時には辛かった。少々の熱では休めなかったし、働いて治すのが漁師達の流儀でもあった。雇い主もそうして病を越えてきたから、彼もそれに習っていた。だが、ある時期にかかった風邪は治りが悪く、いつまで経っても咳が取れなかった。微熱と咳に加えて食欲も減ってきた。咳が妙に軽く調子の高い音に変わったころ、彼自身悪い病だと疑い始めたが、仕事を休むこともできず、医者に掛かる余裕もなく、周りの雰囲気も医者通いを忌む風であった。当時既にパスとかストマイなどの特効薬も出てはいたが、高価な薬を買うなどということは、無理な相談だった。しばらくして、ある日潜水を終えて上がって来た彼は、ふなべりに掴まったまま血を吐いた。赤い血が海に筋を描きながら広がる様子を見て、血の気が引いた。
事態を察知した親方は、たまには親を見てくるようにと暇をくれたが、伝染を恐れた体の良い隔離であるのは明らかだった。それでも少しまとまった金を小遣い代わりに持たせてくれたので、母親と下の兄弟達に最後となったお土産を買って戻った。朝酒氏が村道で出会ったのはその時のことだった。僅かの間に、すっかり背が高く険しい表情になっていた具志堅君に、恐れと尊敬の念を抱いたと印象を語ったものである。具志堅君は朝酒氏に母親がどの畑に出ているかを聞いた(皆が知り合いの村では、誰がどこにいるかをお互いに承知しているのだった)。彼は家へよらずに母親がいる畑へ直行し、驚く母をしり目にサトウキビの収穫作業を始めた。通りから見た人がびっくりした程の働きぶりで、その日だけで畑はあっと言う間に刈り取れた。そんなに働いては身体に毒だと、たしなめる母に「そう長い休暇ではないから」と言って笑顔を見せた時には、母もその意味を言葉通りに受け取っていた。
何日かはそのようにして親子で働いている姿があった。夜は眠りこけている彼の傍で、母が物憂い節回しの三線を引いていた。近所の人が立ち寄って、「いい若い者が年寄みたいに早い時間に眠り込んで」と笑って帰った。昼間の凄まじい働きぶりは村中の評判になっていたから、むろん好意的な笑いである。もう少し近くに寝ていたら、もう寝たのかいと肩でも軽く叩いていたような調子であった。
その翌日に決定的な事件が起こった。深夜家族が寝静まったころ、胸騒ぎで起こされた彼は直ぐに畑まで走った。キビ畑の中で窒息しそうなほど大量の喀血をすると、土をかぶせながら、ある決意を固めた。
あくる日はごく軽い作業で帰宅すると、彼は上機嫌で母や兄弟と夕食をとった。珍しく泡盛を飲んでごろりと横になると、母親に背をむけていびきをかき始めた。いびきが止んだころ、三線の音を背にした彼の目から流れ落ちる涙は床を濡らしていた。母は、この頃はもう何もかも知っていた。三線の上にもまた、涙が落ち続けていた。
翌朝早く、かれは海へ出てくると言って竿を持った。それが最後の言葉で、それきり行方が知れなかった。環礁の外の潮流に持っていかれたのか、誰にもわからぬままだった。
このくだりを聞いて、私は目頭を熱くした。表情を覚られまいと、朝酒氏に顔を背けて海を見ると、与論島の座布団を伏せたような島影はもう近く、相変わらず青く晴れ上がった空があった。遥か水平線上には少しばかり雲が湧いて、いつも通りの平穏で美しい景色だった。大海原は何万年もずっと不動の姿である。大自然は常に無音無言の静謐の中で全き調和の中にある。自然は何一つ変わらない。戦争の時も、人間がこんなに苦しんでいることも、あずかり知らぬ様である。私はその美しさに、ふと腹立たしさを覚えた。具志堅君の短い一生を思えば、彼は良い目を見ることなどほとんど無く、20歳を待たずに死ぬために生まれてきたのかと。宇宙を作った神は、生物を誕生させて競わせる。しかも人間という種同士をいつもいつも争わせる。何が面白くて人が人を苦しめるように仕向けたのか?
この時私は、この話の不自然さに気づいた。その夜の具志堅母子の情景を一体誰が見ていたのだろう?そして、自らこう解釈した。これは、具志堅君だけでなく、きっと朝酒氏自身の物語でもあったのだろう。どっちにしても、どこの家でも、このような話があり得た時代と場所だった。朝酒氏の里帰りもこんな風景の中にあったのだろうと思った。
薮入りの 寝るやひとりの 親のそば (蕪村)
ようやく朝酒氏に向き戻ると、彼はやや怪訝そうな、また何かを探るような目で待っていた。こちらの動きに合わせて視線を戻したのでなく、ずっと私の後頭部、延髄あたりを凝視していた目である。見透かされたような気がして、私は反発を覚えたが、彼がふと吐いた尋常でない言葉を聞いて、驚愕した。
「あの時は行方不明だったから、葬式代はかからなかった」。
私が見る見るうちに不快そうに顔をゆがめる様を、朝酒氏は淡淡と見ていた。ばつがわるいと言う風もなく、言い過ぎたかなと言う風もなく、微塵も動揺しない。それだけでなく、かすかな微笑さえ浮かべているではないか。これは優越者の余裕とある種の憐憫である。見ようによっては皮肉と軽侮とも受け取れる顔だ。これと良く似た表情は、かつて病室で見たことがあったことを思い出した。激しい苦しみを経て来た患者が、まだ症状の軽い同病者に見せる、あの優越感と、山を乗り越えてきたと言う自信、慰めとも思いやりともつかない励ましや心配り、あれと同質のものである。
私は混乱し、うろたえた。そして、ややあって、彼の意味にようやく思い至った。具志堅君は葬式代の負担をかけないように逝ったのだと。