沖縄紀行
5 ヒーロー
「具志堅用高を知っていますか?」と突然話が飛んだ。
無論ボクシング界のヒーローは知っているし、試合も見た。実は朝酒氏の遠い親戚に当るのだそうだ。誰の子がどこへ嫁いで何と言う子を産んで、それでもって云々という家系図はさっぱり頭に入らなかったが、とにかく血縁であると言う説明であった。縁戚関係の話ほど退屈で分からないものはないし、しゃべる方にしてみるとこれほど情熱を掻き立てるものもないのである。
朝酒氏は、それは楽しそうに自信に満ちて、具志堅の生い立ちからデビュー、世界タイトル奪取と、数々の防衛戦をおさらいしてくれた。彼の話を聞いて私は改めて、具志堅が達成した世界チャンピオン防衛戦13回と言う金字塔が、ボクシング界で如何に破天荒なものだったかが理解できた。1976年から1981年まで6年間王座を守った事は空前絶後と言ってもいい。とにかく世界一と言うのは、沖縄の歴史始まって以来だった。
「あの子は小さい時から上へ登ろう登ろうという気持ちが強い子だった」と語ったが、その点は飲んだくれている朝酒氏も、案外似ているのだろう。なまじ上昇志向が強いから、不遇をことさら強く感じざるを得ないのだろうと感じた。
「あの頃は沖縄中が沸きました」と良き時代を振り返るかのようだった。
1972年の日本復帰を沖縄県民は喜んだが、いざ日本国沖縄県になってみると、経済格差の大きさと、基地の存続と言う現実に「内地」と決定的に違う事を思い知らされた。劣等感は依然として強く、沖縄弁、沖縄訛りも恥ずかしく、内地の人の前では緊張して無口になったと言う。ところが具志堅はこの訛りを隠そうともしなかった。ありのままに振舞う彼を見て、県民は自信を持った。「沖縄の訛りがあっても恥ずかしくないのだと感じるようになった」。彼の拳が沖縄県民の言葉に対する呪縛を打ち砕いてくれたのである。その後、彼が切り開いた道を、上原、渡嘉敷、友利、新垣、浜田、平仲などのプロボクサーが続いて行った。沖縄一の繁華街、国際通りをオープンカーでパレードした姿に、県民は長年の鬱屈した思いを吹き飛ばして歓喜に沸いた。朝酒氏ならずとも、まっ先に自慢したい英雄なのである。
私の世代では、古橋が1500mで世界新記録を出した時の興奮と高揚感、或いは南極観測船宗谷の壮挙、マナスル登頂などが国民に与えた喜びと自信がそうだった。日本は駄目だと言われ続けて育った世代は、いつしか本当に駄目なのだと言う思いが沈澱して劣等感に浸っていたが、これらの出来事はコンプレックスを吹っ飛ばした。私もやればできると少年ながら思ったものだ。
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